銘菓高坂弾正もなか紀州本川中島古戦図
寂室物語
古道東山道は、律令時代、時の政権が東国平定の為に敷かれた官道でありました。東国と西国とを繋ぐ険しい山の頂きが神坂峠でした。

千早ぶる 神の御坂の 幣まつり
斎ふ命は 母父がため

(万葉集 巻二〇より)

この歌は、防人として九州赴任を命じられた神人部子忍男が神坂峠を越えるにあたり、遠く故郷に居ます老父母の無事をただただ祈ったものですが、この想いは今日も吾々の心に切なく響いてまいります。

昭和45年、神坂峠の発掘調査が行われ、この地の人々に依り旅人の無事を祈る祭祀が行われていたことが確認されました。

道を下りますと、東山道随一の大きさを誇る阿知駅が、今日の駒場の地に於かれました。

困難な峠を越えた人々にあっては、疲れ切った心身を共にいやし、又国の安寧を望み得る最良の場所の一つであったのではと思われます。

中央には、仁徳天皇の御世に創建されたとされる安布知神社があります。大事に護られて来ました社宝の古代の鏡は、奈良時代この伊那地方で制作された花禽双鸞八花鏡(かきんそうらんはっかきょう)と確定されました。後に江戸時代将軍家光に依って過分なる加護が与えられ、安布知神社に宛てた家光自身に依る幾通にも及ぶ朱印状が大切に保管されています。

荒ぶる行いは、決して神の助けを蒙る事は出来ません。知をもって世の安寧は保たれるものです。
真直ぐなる心を保ち、静かに祈りを捧げる事が、天の御心に通じることと思われます。

緑深き明灯山に寂かなる御室にございます。

ページの先頭へ