高坂弾正つれづれ丸山丘陵/最上に八幡神その下には高坂弾正及び丸山高坂本家の墓がある。
新たな時代へ
これより安土桃山を経て、徳川の時代となり長い戦いの時代の終焉を迎えたのです。武田家の優れた家臣は新たな国の建設のため、徳川家に召し抱えられる事となったのです。そして天正3年以来、丸山の城にて居を据えた高坂弾正血縁の人々も徳川の庇護を与えられる事となりました。

平安時代に編纂された先代旧事本紀・天孫降臨の項に「八意思兼命、表春命、信乃ノ阿智ノ祝部ノ祖」と書かれており、阿智の土地が古代史実と密接に関係していた事が推察されています。中心である駒場中央には、仁徳天皇(奈良)の時代に創健されたと記される安布知神社があります。古代にあっては祭政一致であり、旧事記に記されている様に駒場は律令時代朝廷が東国平定の為の重要な拠点の一つであったと考えられています。
安布知神社

ページの先頭へ