停年退官の日は、講座主任あるいは研究主任といった生涯職に就いたその日から既に予定されている事実で、私がこの4月1日に退官することは、昭和44年10月、精神科教室から脳代謝研究施設に移籍した時に決まっていたことである。人は、生まれてきたからには死ななければならないし、その覚悟をもって日頃から時間を大切にしなければならない。何のために生まれてきたのかという問には、誰も答えられない。ここに生まれて、そして生きているという事実を見つめてみるだけである。だから、何の為に生まれてきたのかということは、それが失われるまでに、どうあったかということであり、自分ではわからない。多くのことが長い年月の風化のあとで、良かったとか良くなかったとか言われるのだが、それでさえ、どうして? 何故? と問い返されると簡単に答えられないこともある。よく歴史が裁いてくれるという。歴史が裁くこともまた、限られた条件の中で良し悪しの品定めをするにほかならない。
人間の命を大切にすること、人の痛みを除き、苦しみを柔らげることは、人類始まって以来最も確かな良いことである。このことに奉仕するために「医」はあり、「医」の教育が行なわれ、研究が価値あるものとして認められている。私が生涯の仕事として医の道に励むことを許されたことを心から感謝したい。そして、この道を一緒に連れだって歩いてくれた友人達、辻々の方向で教えて下さった先輩達、また、日夜私と苦楽を分けあった教室員に心からの感謝を奉げたい。よく”大過なく”という言葉が使われるが、私には大過も小過もあったことと思う。それらをよくカバーしてそれこそ大過なからしめてくれた人々にほんとうに感謝する。また、教室をとり巻く楠の木、槇の木、橡の木、それに来る小鳥達や小蝉ににも別れ難い気がする。いつまでもこの森は彼らの平和な住家であってほしいと願っている。
昭 和 5 4 年 3 月
停年退官を迎えて
高 坂 睦 年
(丸山高坂家・第24代当主)
(丸山高坂家・第24代当主)
履歴
氏名 | 高坂 睦年(こうさか むつとし) |
生年月日 | 大正2年10月31日 |
本籍 | 長野県下伊那郡阿智村伍和3966 |
昭和 | 15.3.31 | 岡山医科大学卒業 |
15.3.31 | 岡山医科大学 副手 | |
15.5.14 | 任海軍軍医中尉 | |
17.3.16 | 任海軍軍医大尉 | |
20.11.14 | 岡山医科大学 副手 | |
25.4.30 | 岡山大学 医学部 助手 | |
27.6.1 | 岡山大学 医学部 講師 | |
29.4.1 | 岡山大学 医学部 助教授 | |
44.10.16 | 岡山大学 医学部附属脳代謝研究施設 教授 | |
47.12.1 | 岡山大学 医学部附属脳代謝研究施設 施設長 | |
54.4.2 | 岡山大学 医学部附属脳代謝研究施設 定年退職 | |
平成 | 8.10.20 | 死亡 |
(その他の経歴)
昭和 | 55.4.1 | 医療法人吉美会・吉備高原ルミエール病院 院長 |
(〜昭和59.10.31 まで) | ||
60.1.4 | 医療法人三愛病院 名誉院長 | |
(〜平成8.10.20 まで) | ||
60.4.1 | 順正高等看護専門学校校長 | |
(〜平成元.3.31 まで) |
(賞 罰)
昭和 | 24. 8.27 | 昭和24年度朝日科学奨励金受賞(共同研究者として) |
43.8.31 | 岡山県知事表彰(国際親善・岡山日米文化協会代表として) | |
46.8.31 | 岡山県知事表彰(国際親善・日本国際生活体験協会岡山地区委員会代表として) | |
49.5.21 | 山陽放送学術文化財団研究助成金受賞 | |
56.6.26 | 全国公共図書館協議会表彰(功労賞) | |
58.9.10 | アメリカ合衆国大使館表彰(岡山日米文化協会創立25周年記念特別功労) | |
60.11.10 | 日本国際生活体験協会表彰(創立30周年記念功労) | |
61.11.11 | 社会教育功労者文部大臣表彰 | |
平成 | 元.4.29 | 勲三等瑞宝章 |
8.10.20 | 正四位 |